コーヒーに引き続き、煙草。
俺はまったく吸わないのだけれど、どうして吸わないかといったら、それは親が吸わないから・・という理由が一番であるように思う。ただそれだけ。
何か手持ち無沙汰なとき、人と話してるとき、ふっと手元に何かほしいなという感覚が起こることもある。僕に落ち着きがないのもひとつの理由だろうけれど、煙草というものはそう悪いものではない気がする。
煙草がどれだけ体に悪影響を及ぼすか、それは完全に証明されているわけではない。煙草を吸えば肺がんになるというのは嘘であったことが明らかになった、と解剖学者の養老孟司さんは語っている。疫学的データが間違っていたという事実があったそうだ。煙草を何十年吸っていた人の肺が健康体そのものだったという事例もあることはあまり知られていないし、知られないようにしてるのだろう。
煙草を世間から締め出すのなら、どうしてアルコールはしないのか。他の体に悪い嗜好品は?化学調味料、保存料等。他人に影響を与えるからという理由ならば喫煙室を作ればよい。煙草を目の敵にすることでなにか他のものから目をそむけさせられている事実は確かに存在する。
正しくないモラル感、常識という世間に作られた悪徳の押し付けはご遠慮願いたい。マナーを守り吸っている人たちに何も不義はない。
禁煙運動を一番最初に行ったのが誰だか皆さんは知っているだろうか?
それはヒトラーであった。健康幻想は危ない。健康はいいことだという主張は「病人は悪いもの」という思想を含むから。そこでナチスの行ったことは何であったか。精神病の患者の断種である。次に精神病の患者や知的障害者安楽死ユダヤ人大量虐殺。つまり禁煙運動が優生学へと進んでしまったのだ。
誰か、いつ、何の目的で、誰がお金を出して禁煙運動が始まったのかははっきりとしていない。
米国でこんなことがあった。ニクソン大統領の時、ベトナム戦争で枯れ葉剤をまいたことで自らへの批判、責任を問う声が強まると、ニクソンは政治判断として批判勢力を反捕鯨運動に参加させるように指示したのだ。スケープゴートとして反捕鯨運動はあった。この実態がわかったのはごく最近のこと。
さて、禁煙運動がこれと違うと言い切れるだろうか?








上記した映画で、各登場人物はコーヒーをすすり、煙草をくゆらせながら会話劇を繰り広げる。
コーヒーと煙草。この二つと友達がいれば、きっとそれだけで人生は楽しい。




※業務連絡:僕に煙草を吸わせようとするのはやめましょうw